vol.02 島村剛さん CRRジャパン代表

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「何かが滞る」というのは、
    時代の要請にそむいてるいうサイン

Q.今日は、たけしさんの「今」について伺いたいと思っています。4月にCTIジャパンの代表に就任されて以来、本当に忙しい日々をすごされていると思いますが、良いも悪いもひっくるめて、「今」どんな感じでいますか

A.就任の時に、CTIジャパンで成し遂げたい色々なことを考えました。おかげさまで、それらには一通り着手できている感じがあります。もちろん慣れない仕事に変わり、あちこちぶつかりながらです。全然かっこよくはないし、スマートではないんだけれども、思ったことが一つずつ形になっていく手ごたえはあります。

多分それは、僕がどうのこうのというよりは、これまで先輩方が培ってこられたものが、今形になりつつあるところなんでしょう。この仕事が今の社会に必要とされている、社会の要請に応えている、という実感があります。

 

Q.社会が必要としている仕事についている、というのはどんな気持ちですか?

A.すごくありがたいです。有形無形のフォローウィンド、いろんなところからのサポートをいただいている感じですね。何から何までが私を後押ししてくれている、そんな感じです。

 

Q.それは誰もが欲しいと思うような、すばらしい状態ですね。その状態を手に入れているたけしさん自身の手ごたえはどんな感じですか?

A.この感覚は本当に不思議なんです。「手に入れた」というより「手放した」感覚。
というのは、「何かが滞る」というのは結局何かが間違っているというか、時代の要請にそむいているというサインではないかと思うんです。そういうことをわかった上で、あまりじたばたしないで、必要な手当てを必要なタイミングですればいいっていうシンプルな心境になっているんです。

 

Q.流れに身をゆだねている、というような感じが伝わってきます。

A.そうそう、そういう感じはあります。
考えてみると、私自身がCTIジャパンの代表に就任する事自体、頭で考えたらありえないことなんですよ。ゲームのUFOキャッチャーのイメージなんだけれど、自分で決めたことのようでいて、実は首のあたりをぴょっとつままれて、落とされたところがCTIジャパンという激流の中だった、そんな感覚ですかねぇ。不思議な感じなんです。

 

Q.激流の中にいるわりには、すごーく静かな雰囲気をかもしだされていますが・・・?

A.あー・・・、そうですね。こういう状態じゃないと、先ほどお話した「必要な手当て」ができないっていう感じなんです。
目の前に色々なことはあるし、激流の只中にいるけれど、だからこそ心の中にしっかりと静かな部分がないと、冷静な意思決定ができないんです。上手に言語化できていませんね、このあたりは。

 

Q.激流の中にあって静かなところを創るって、どうすれば可能なんですか?

A.何かに書いてあった言葉で「これだ!」と思ったのは、「天命を信じて人事を尽くす」

 

Q.「人事を尽くして天命を待つ」ではなくて・・?

A.そう。 とにかく、今僕がここにこうしてこの問題に直面していることには、意味がある、ということを信じちゃう!という感じ。 今ここで自分が何かを決めなくちゃならない、ということに意味がある。 僕が決める立場にあり、今これを決められるのは僕にしかできない。そこで腹が据わる感じがあるのかもしれません。 僕が決めないと何も進まない、そういう感覚かな。CTIジャパンの代表に就任することを決断したのも、悔いの残らない人生を送るために「自分にしかできないこと」を選択していった、その結果ですし。 この「天命を信じて人事を尽くす」という言葉にはかなりフィット感があります。もう何もかも手放してこの流れに身をゆだねちゃったわけですからね。

Takeshi Shimamura

島村剛さんは、2004年4月に大手シンクタンクでのマネジメント職を退職され、CTIジャパン代表に就任されました。CTIジャパンとは、日本を代表するコーチ養成機関であり、 Co-Active Coachingという人がよりよく生きていくための新しいコミュニケーションスタイルで、人と人とが関わりの中でより充実してバランスのとれた、味わい深い人生を創り上げていくことをサポートするコーチを養成している組織です。


「天命を信じて人事を尽くす」

Q.手放したもの、というのはどんなものでしたか?

A.それはもう!これまでの蓄積だったり、経済的な安定だったり・・・。手放してみて初めてわかりました、その大きさが。

たとえば、前職だったら慣れ親しんだ環境にいて、条件反射的に「これはこうすればいい」っていうのがわかる。あるいは、どうしたらいいのかわからなくても、誰に聞けばいいのかがすぐわかる。培ってきたもののうち、「時間」というものが、ものすごく大きなものだったんだ、というのは身にしみています。

今は逆に、ほんの些細なことすらすぐには決められないんです。わからないんですから。この歳になって、また一から皿洗いやってるような気分です。もう「なんなんだ~~!」っていう・・・。情けないやらかっこ悪いやら。

 

Q.そういう「わからない!」という時って、心の中ではどんなことが起きているんですか?

A.最初のうちは「(消え入るような声で)なさけないなぁ」って感じ。

けれど、それでは全然進歩もないし、気持ち悪いだけだから、スイッチを入れ替えるんです。「いやいや、この年になってまた一から皿洗いやっているって、なんて素晴らしいんだ!」って。「また成長できている」って。

“安定”ということよりも“成長”ということ。できなかったことができるようになるということを喜びとする、そういうふうにスイッチを入れ替える感覚。判断できないことが起こるたびに「あ、幸せ!」って、こういう感覚。

 

Q.たけしさん、今すごくかわいらしい! スイッチを入れ替える、と言葉で言うと簡単そうですが、実際はどうやって入れ替えているんですか?

A.「あー、なんかネガティブな感情が起こっているな」という時に、それを選択し続けることももちろんできるんだけれども、あまり自分にいいことがない。一種自分で自分に毒を盛っているような感覚があるから、「せっかく過ごすんだったら、気持ちよく過ごしたい」という想いを大切にしているのでしょう。

それは確かにちょっとしたコツかもしれないね。そんなにむずかしいことではない。 感情が選択できる、という事実にアグリーできたら、誰にでもできることだと思います。

 

Q.激流の真っ只中にあって、スイッチを入れ替えるのって、かなり意識して「入れ替えるぞ!」って決めている必要がありそうですね。

A.う~ん、そんなに力が入っている感じではないですね。すごく力を入れて決めてる、という感覚はあまりない。これは、今回CTIジャパンの代表にならせていただく、という決断をして、人生の舵を切ったことで体得したところかもしれません。

力を抜いて、静かなところを保っていないと決められないんです。そわそわしているといい意思決定ができないというか、そわそわしながら決めたことって、あちこちにガツガツぶつかるわけ。でも本当に静かなところで、腹に落として決めたものって、すーっと伝わっていって、うまくいく。そういう感じがありますね。

 

Q.そこにはすごく「信頼」がありますね。

A.そう、まさに「天命を信じて」いるから。
些細なことを決めるのにも時間がかかったりする、そういう中で気がつくのは“無力感”なんですよ。いい意味で自分は本当に一人では何もできない、っていうことに、常に気がつくというのかな。

だからこそ、その自分で精一杯何ができるのか、できることだけを静かなところから見つけていく。 先ほどと同じ不思議な感覚なんですが、無力感を感じるたびに、うれしいと感じるようにしているんです。

 

Q.無力感を感じて落ち込みそうなところで、スイッチをぽ~ん!ときっている感じ。

A.そうそう、「あ、ダメだ」と思わないで、「また無力さ加減がわかっちゃったじゃん!」みたいな。自分が無力感を感じていればいるほど、多分いい意味で謙虚に人と関われる気がする。だから、無力感を感じることはいいことなんだ!って自分の中では決めちゃっている。

そういう回路ができている感じです。 無力な中でできることだけ精一杯。目の前にあることを今日一日精一杯。もうそこに集中している感じ・・・・今話していて気が付きましたが、静かな心持をキープする秘訣はここかもしれませんね。

今を生きること。昔も手放して、将来も手放して、今できることに集中していること、ですね。

 

Q.聴いていて鳥肌立つような感じがしました。言うほど簡単なことじゃないと思います。

A.ああ、簡単じゃないですね。それはもう大変でした。


「あと24時間で死ぬ」と思ってやっている感覚

Q.最初のうちは無力感の中にとらわれちゃうこともあったでしょう?

A.ありました。 しみじみと「あ~~、おれって何にもできないんだ・・・」って感じる無力感は身にしみます。 前の職場では、無力と言いながらも時間の積み重ねがありましたから。

だから、人にも安易に転職は勧めませんよ。特に40歳過ぎてからは、絶対安易には勧めませんね。“安易には”という意味で、絶対“やるな”とは言いませんが。

 

Q.安易には勧められないけど、どうだったら勧められます?

A.その人が一番何を大事にしているのか、というところで、安定とかポジション、地位、そういうことを大事にしているのだったら、やめたほうがいいですね。

安定の対極は変化だと思いますが、変化、成長、ということを本当に大事にするんだったら、大いに勧めます。

何を大事に生きているか、ということがまず先にあって、それに従っての意思決定をしなくちゃいけない、と思います。

 

Q.たけしさん自身も、変化、成長を大事にしてここにきたんですね。

A.そう!だから、心から楽しんでますよ。本当に何にもできないけれど、うまくいかないことを楽しんでいる、できないことを楽しんでいる、そういう感じなんですよ。次から次へとできないことがわかる、その連続だけれど、それ自体を楽しまなくちゃ損じゃない!って感じ。そして、全力でやってないと楽しめない。

 

Q.そこ、すごく聴きたい!「全力でやる」ってよく簡単に使われる言葉だけれど、具体的にどういうことなのか、共通理解はされていないと思うんです。

A.「あと24時間で死ぬ」と思ってやっている感覚。

 

Q.もうちょっと詳しく言うと?

A.だって、何が起こるかわからない。今ここにダンプが突っ込んでくるかもしれないし、いつ死んでもいいように生きるっていう感覚です。

 

Q.いつ死んでもいいように生きる、と思うと具体的には決断がどう変わるのですか?

A.たとえば、今ここでこうやって話していることも、2度とこないかもしれない、と思うと、本当に「今の僕を伝える」ということに集中している。 今できることに、99%じゃなくて100%集中している。

 

Q.なんだか、でも不思議と力は入っていないですよね。

A.力は入らないんですよ。入れられないって感じ。力を入れた途端に過去になる。

 

Q.詳しく聴かせてください!どういう感覚ですか?

A.うまく表現できないんだけれど・・・。
今この瞬間に生きる、ということを固く固く決意しただけで、あとは手放している、という感じかな。やっぱり“あり方(Being)”を大切にしているんだよね。今何を意識しているか、というと、頭で考えないで、自分にとっての真実を、さっきの“静かなところ”に取りにいっている感じ。

 

Q.力を入れた途端に過去になる、というのは、何をするか、という行動(Doing)に意識を向けた途端に、過去にとらわれてしまう、ということですか?

A.そうそう。今がずーっと流れているけれど、力を入れた瞬間は、力を認識した途端に過去になっているじゃない。

 

Q.そこって多くの人が誤解しているところだと思います。「がんばろう」っていうじゃないですか。「がんばろう」と力を入れている人が多いと思うんです。だから、「力が入れられない」というのがすごく新鮮。

A.なるほどね。もし違う言い方をするとすれば、“がんばる”が“こだわる”につながっている感じがするんです。

“こだわらない”という感じ。 五感はすごく敏感なわけ。でもとらわれない。

今、すごくいい風が入ってきているなぁ、青空がきれいだなぁ、カラスが鳴いたなぁ、それだけ。

 

Q.今すごく伝わってきたのが、本当にこの一瞬の幅が広がった感じ。カラスが鳴いたことすらうれしいとか、風が吹いたことすらありがたいとか・・・。

A.その感覚に近いんだけれど、「うれしい」と思った瞬間に過去になっているから、カラスが鳴いた、風が吹いた、それだけ。その連続の中に身をゆだねている感覚。

 

瞬間を味わって、そして手放している。

 

Q.それこそ知恵ですよね。今を大事にしなさい、だからがんばりなさいって言ってる人、言われている人すごく多いと思う。

A.がんばらなくていい、ということだけはわかった。“頑張る”っていうのは、“頑なに張る”っていうことだよね。張っていちゃ余裕ないよね。がんばっちゃぁいけないんだよね。そういう意味では、”努めて力を入れる“努力も、あんまり好ましくない。

僕はがんばらないし、力を入れないけれど「成長を友とする」というところは絶対に放り投げていない感じがある。ここは大切なので強調しますが、頑張らない、努力しない、だけではダメです。

 

Q.たとえばそういう状態で何かを決断するときって、どんな感じですか?

A.もう大変!(笑い)

 

Q.しみじみ!

A.正直いって、特に経営の立場では、正解はひとつじゃない。だからとことん考えているんだと思う。無力だから考えられる。想像力のすべてを使って、色々なことをシュミレーションしているんだろうね。そして考えて考え抜いてくると、ぽっかりと静かなところに行き着く。

そこで手放して、ゆだねて決める。

そうやって考え抜いて突き抜けたところにいくと、もうぶれない。結構色々なフィードバックも受けるんだけれど、全然ゆれない。このことで一番考えたのは自分だ!っていう、自分しかできない仕事だ!っていうところに突き抜けていける。

 

Q.すごい強さが伝わってきます。

A.無力だからこそできる技だと思います。でも揺らがないという、そこがまた難しい。揺らがない自分がいつも、いい意味での無力感を維持できるかどうか。

辛口のフィードバックをいただくこともあるんですが、これを揺らがずに受け入れる。また成長の機会をいただいた、と思うようにしているんです。

Q.毒としては入れないんですね。


辛口フィードバックを受けるときにどう処するか、は大事なスキルですね。

Q.受け入れるっていうのは、「ああ、そうなんだな」と受け止めるということ?

A.ええ。但し、自分のことにはしない。自己批判は毒だから。フィードバック情報は単なる事実でしょう。それをどう受け止めるかは自分が決めればいいと。
口に入れる必要は全然ないし、受けた瞬間に発する感情は選択できるから・・・きついものであればあるほど、自分にとってはチャレンジングなんだけれど、この出来事をどう自分が学びにするか、ここから学べることは何か、と問い続ける。

 

Q.毒としては入れないんですね。

A.入れない、絶対!入れたらデリケートな私はやられる(笑)。
毒としては入れないけれど、どう学びとして入れていくか、を自分で選ぶ。そう決めておくと 辛口のフィードバックもウエルカムなんです。

本来僕たちが目指しているのは、お互いに真実を語り合える社会、というものだから、いいづらいことも言い合える、というのは大事。そこでいちいち揺れていたら身体がもたない。

辛口フィードバックを受けるときにどう処するか、は大事なスキルですね。 言ってもらった事実には感謝すればいい。逆にうれしいフィードバックはどんどん入れればいい。

 

Q.この毒として入れない、という技術は営業マン時代に培ったものですか?確かたけしさんは、営業マン時代に大概のことはされてるっておっしゃってましたよね。名刺破られたり、水をかけられたり。

A.毒として入れない、ということができるようになったのは、ここ半年くらいです。

営業マン時代は、毒に対する耐性をひたすら身につけてきたように想います。そういう意味ではすごく鍛えられました。今でも、スイッチ入れたら、この界隈のお宅を軒並みアポなしでお邪魔できると思います。

 

Q.全部?!アポなしで?

A.全部!行く必要が自分の中に確認できたら、行けますよ。営業経験者は皆、そうだと想います。

僕ももともとは、どちらかというと人見知り症の、気の弱い学生でしたから、「いかに仕事といえどもこの人とは一緒にいたくない」なんて思うことも多かった。でも一生懸命やっていたら関係は変わるものだ、というのも体感したし、そんなに悪い人はいないんだ、ということも体験できた。いい職場だったんですよ。社会人のデビューを営業という形でスタートできたのは、すごくハッピーでした。

ただし毒は毒として受け取っていましたから、日々大変でしたよ。もうほんとに。 また、そこで体験した“恐怖”によるマネジメントも強烈な原体験として身体に残っています。今でも多くの組織がそれで動いているのかもしれません。

 


人のためにする献身的な行動は持続しない

Q.子育てだって、“恐怖”で動いていくこと、多いですよね。

A.“恐怖”は言い過ぎかもしれませんが、人事権を背景としたマネジメントって、根は同じですよね。でもこれからは、新しいルールが必要だと考えます。外発的報酬ではなく、内発的動機が優先されるルールが必要ではないかと。

だから僕は、「相手を尊重する」っていうところは絶対譲れないんですよ。その人の人生が本当にその人らしく最高に輝いた上で、お互いに尊重して貢献しあって感謝できる社会の実現可能性を追求するんだ、というのが絶対譲れない線です。

そして、これはあくまで仮説なんだけれど、人間やっぱり成長するために生きている、と思う。 何に向かって成長するのかというと、まさに自らの価値観と覚悟で生き切るという意味での自立。

相手を本当に尊重しようと思ったら、自分がそういう意味で自立していないとできない。そして自分が自立して、相手が尊重できていると、貢献ができる。「この人の役に立つためには、僕はいったい何ができるんだろう」と。どうやら貢献こそがこの世の中に自ら生み出せる価値なんですよね。

そして、それがベースにあると、感謝できる。感謝ほどハッピーな感情はないなぁ、という確信があって、CTIジャパンの仕事も、それにつながると思っているからやっているんです。

 

Q.そういう想いって、たとえば小さい頃にもおぼろげながらも感じていたところありますか?

A.両親からの愛情は本当にふんだんに受けていて、そのことにはものすごく感謝しています。ぐれなかったのは、父が厳しかったおかげですし、母の優しさと一緒になって、僕のベースを造ってくれている。つまり、人を愛することができるし、信じることができるのは、自分が愛された、という実感があるからだと思います。

でも父は厳しかった、ものすごーく(笑)。今はそれが愛情からのものと理解していますが。

 

Q.厳しさ(お父さん)と優しさ(お母さん)という両極端を見て育ったんですね。

A.そうかもしれない。それぞれ形の違う愛情表現なんですね。

そういえば、“愛”っていうのは、“その人を好意的に思う気持ち”というレベルで語られることが多いけれど、本当は気持ちではなく行動そのもので、しかも他人のためではなく自分のためにする献身的な行動なんだと想います。

 

Q.自分のためにする献身的な行動?

A.人のためにする献身的な行動は持続しない、続かないと思うわけ。自分の成長のために相手が喜ぶことをする、という意味での献身的な行動。これが当たり前の世の中、あるいはこれが最優先される世の中にする、というのが僕の仕事です。

コーチングって、その最たるものだと思う。コーチングで相手の役に立ちながらも、コーチしているほうも幸せになるじゃない。こんないい仕事ないよね。

 

Q.自分の成長のための相手への献身というのは、肩の力が抜ける感じがしていいですねぇ。

A.その献身はエゴからくるんじゃないんですよね。人が何のためにこの世に生を受けているのか・・・さっきも言ったけれど、僕は成長するために生まれてきた、と思っています。違うかもしれない。でもこれを信じるとものすごく楽になるでしょう。他の人に強制するつもりは全然ないけれど、僕は信じちゃっている。そう思うことの一番のメリットは、つらいこと、自分にとってのアゲンストの風がうれしく感じる、ということ。

 

Q.もう生き方そのものが体現している感じはしますが、あらためて、次の世代に伝えたいことは何ですか?

A.自分が一番大事にしていること、つまり内発的な動機を本当に大事にする生き方が当たり前だ、ということ。それをこれからの世代にも、僕たちの先輩にも示していきたい。

今、時代の変わり目だよね。人類、社会が新しいスタンダードを模索している最中の、この世界の中でも日本という国において、今この歳で、こういうところにいることの意味をすごく感じているんです。だから倒れるわけにはいかない。

僕がこういう形で人生の舵を切ったことで、「あ、ああいう生き方があってもいいんだ」ということを見せることと同時に、僕より若い世代の人たちに「あ、やっぱりあれでいいんじゃない」というふうに示すこと、それが大枠の中で課せられた使命のような気がしています。

人がよりよく生きる社会、一人一人の内発的動機が最優先される社会を、皆で築いていきましょう。

時間はかかるかもしれませんが、せめてその社会の礎の石の一つでも積み上げていきたいと想います。

 


今日はどうもありがとうございました。